産業遺産の見どころ
足尾キリスト教会(国登録有形文化財)
輪王寺末寺天台宗宝増寺の西側に隣接して足尾キリスト教会が1908(明治41)年に建てられました。イギリスのマイナーズミッション教団の創始者グリン・ビビアンは、イギリスの鉱山で成功し、世界各国の首位鉱山所在地に教会を建てる計画を持ち、日本では足尾が選ばれ2,500円の資金が投じられました。ビビアンは、1910(明治10)年に死去しているので、外国では足尾だけの可能性もあり基調な教会でもあります。日本の鉱山とキリスト教の関係は近世から深く続いています。江戸期の宗門改めでは、当時の足尾銅山金堀の東庵が、沼田に逃げ、鉱山に従事後行方不明となったとの文書があるそうです。東庵は、沼田のクリスチャンの指導的立場にあったようです。近代では、1894(明治27)年から始まり、1906(明治39)年から本格的な布教活動のために二人の宣教師が来山しています。明治40年の足尾暴動では、検束された鉱夫の家族に救済活動を行ったようです。マイナーズミッション後は、現在の福音伝道教団に受け継がれ、イギリス人宣教師M・Aバネットの意志を受け継いで、地道な活動が続けられています。教会の記録は、戦時中に教会閉鎖とともに戦災者受入住宅に転用されたので失われたようです。墓地は、隣接の宝増寺の墓地の一角で教会側にあるのが特徴的です。
直利音頭~納涼祭
直利音頭PDF.pdf (0.35MB)
毎年8月13日に開催される夏の風物詩納涼祭。足尾銅山では日光清滝の精銅所であった古河電工での日光和楽に次いで直利音頭と称される音頭に合わせて楽しい鉱山踊りが毎年開かれます。最初は隣県の八木節を利用していましたが、フランキー堺の父、堺正高氏が参画しています。堺氏は、大正12年から昭和2年まで足尾鉱業所に在職していたそうです。大正13年には、鉱夫の友を通じて従業員から歌詞を募集。赤倉、通洞、小滝の3か所で櫓が組まれ、直利音頭が盛大に行われました。踊りは、通洞が石投げ動作が1つ多かったようですが、正調に統一されました。赤倉(本山坑)の踊りは、元気で跳ねたような踊りだったのを覚えていますが、現在・・・その踊りを踊る方はほとんど見られなくなってしまいました。
古河掛水俱楽部(国登録有形文化財)
古河足尾鉱業所の貴賓客の接待と宿泊施設として、1899(明治32)年に建てられました。明治期の特徴的な和洋折衷の建物です。設計は、明治のお雇い外国人でイギリスのジョサイヤ・コンドルの第一弟子で東京駅や日本銀行などを手掛けた辰野金吾と葛西事務所であることが近年の日光市文化財課の検証で分かりました。ジョサイヤ・コンドル氏は、晩年古河邸(現古河庭園)を設計しています。俱楽部には娯楽室としてビリヤード場が設けられました。料理は古河お抱えの関塚氏があたり、掛水賄で調理されましたが、明治期にフランス料理を本格的な食器に盛り付けるなど一流の評価を得ていたようです。
毎年4月から11月の土日祝が開放日になっています。奥日光の英国大使館、イタリア大使館と合わせてご覧ください。お問合せ:0288-93-2015
わたらせ渓谷鐵道各駅イルミネーション足尾駅
国の有形文化財に指定されたわたらせ渓谷鐵道では、毎年12月初旬から翌年2月末まで各駅イルミネーション事業が展開されており、冬の風物詩となっています。