産業遺産の見どころ

旧小滝第3発電所付近

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畑尾地区の南部に位置し、季節ごとに様相を変え楽しませてくれる風景です。水の中に木立があるのがちょっと癒されます。

小滝の発電所は、1902(明治35)年に完成しました。小滝坑エリアの生産設備用の自家発電設備です。日光発電所の建設が遅れたことによる緊急避難的要素の強い発電所だったそうです。特徴は、水路のほとんどがトンネルであること、用水の再利用を徹底したことです。取水口は、小滝と銀山平の中間の大曲と呼ばれるところで、庚申川を横切る形でいったん反対側に出て、その途中からT字型に水路を拓き、山腹に沿いながら直線水路をトンネルで貫いています。第一発電所は、小滝選鉱所に直動発電2台で発電。第2発電所は、その排水を小滝製錬所に導き、第一発電所の直動発電機の2倍の60KW2台で発電しました。さらにその排水を集約して庚申川を渡り、畑尾の第3発電所は約30mの落差を活かした発電を行うといったシステマティックな発電所を考案しました。1920(大正9)年の小滝選鉱所廃止によりその役割を終えました。第3発電所はその後も稼働しましたが、廃止の時期は定かでありません。(村上安正氏より)

笠松片マンプ

笠松片マンプ

群馬県との県境の笠松トンネル足尾側渡良瀬川左岸に小名峠、右岸に大名峠がり、足尾に入る難所だったそうです。大名峠は、幕府が足尾から算出した御用銅を江戸に運ぶ街道としてあかがね街道を開き、馬一頭が通れる道としました。しかし、相当の難所で、馬は積み荷12貫(45キロ)を2個ごと渡良瀬川に滑落することが度々起きたそうです。古河は新たに右岸の絶壁をえぐって桟橋で幅員の確保をしたようです。コの字型にえぐれた部分が片マンプです。硬い岩石と急流に対処するための手法だったようです。この片マンプの開通により足尾~沢入間の輸送力を確保しました。

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坑夫の風呂跡

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小滝エリアに入ると、街中とは少し違う往時の足尾銅山にタイムスリップするようです。

特に小滝の里周辺から小滝の小滝坂にかかるまでは、道すがらに遺構が点在しています。それとともに、往時の人々の思いにも触れるような感覚になります。坑夫の風呂は特徴的で、楕円形の二重構造になっています。これは、外周で、一端坑内作業の汚れを落としてから内周に入るということをされていたそうです。

銀山平キャンプ場

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かつての足尾銅山製材所跡に造られた銀山平キャンプ場は、銀山平公園として一括国民宿舎かじか荘の管轄にあります。足尾温泉をご利用できますので、是非ご活用ください。

お問い合わせは、国民宿舎かじか荘 ☎0288-93-3420

小滝坑跡

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小滝坑跡は、当時は、今は入る橋桁がない小滝橋の対岸にありました。1885(明治18)年7月に旧坑を取り明けて採鉱準備を開始し、翌年には横間歩の𨫤先とは違う光盛前𨫤や大楯前𨫤の直利を相次いで発見し、小滝発展の端緒を拓いた場所です。明治末期から昭和の戦前期まで、小滝下部の採鉱は、通洞の河鹿と並ぶ足尾銅山の双璧と言われていました。旧小滝坑口は、小滝坑跡の少上流にレベルの低い位置にあり、年々崩壊されています。開発の進行に伴い、現在の坑口を使用するようになったようです。

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