産業遺産の見どころ
- 周遊マップ~本山坑エリア(8)
- 周遊マップ~通洞坑エリア(12)
- 周遊マップ~小滝坑エリア(4)
- まちなか写真館本山坑エリア(9)
- まちなか写真館通洞坑エリア(21)
- まちなか写真館小滝坑エリア(5)
- 本山坑エリア(9)
- 通洞坑エリア(6)
- 小滝坑エリア(9)
⑫往時日本最大出力の水力発電の地!
間藤水力発電所跡・・・市指定史跡・・・1890(明治23)年に完成した4大工事の一つです。輸送方法の変化に伴い、大量の電力が必要になった当時、蒸気動力に代わる電力として坑内排水・坑内電車・電燈・削岩機などに使用され、銅山近代化の原動力となりました。対岸の川底に、建物の基礎部分が露出しています。1906(明治39)年には、より発電規模の大きい日光細尾発電所に引き継がれました。
⑪足尾に緑を!
足尾環境学習センター・・・この奥には、かつて仁田元村(ニタモトムラ)・松木村(マツキムラ)・久蔵村(クゾウムラ)の三村がありました。日光山と足尾の歴史は、中禅寺湖からの人の往来から繋がっています。足尾山塊で修業をし、日光山を開山した勝道上人とその弟子たちが、中禅寺湖から阿世潟峠を越えて久蔵に抜け、足緒→足尾と名付け・・・足尾と日光の関係性はまた別の御案内を!
三村は、木材や木炭などの森林資源が銅製錬や坑道維持のみならず、多くの住民の生活資源として多量に使用されました。また、1887(明治20)年4月に松木村に大火が発生。それに加えて製錬所から排出された亜硫酸ガスによって禿山と化した場所であり、古河との示段交渉により、村人は星野金平氏を残して撤退し、1902(明治35)年に廃村となっています。古河鉱業は、木を伐採しながら植林もやって来ましたが、坑内は拡大し木材調達が追い付かなくなっていました。現在は、林野庁、国交省、森脇先生の森びとプロジェクトや足尾に緑を育てる会などの民間団体による植樹により緑化されつつありますが、緑豊かな山に戻るのは世代を超えた植林事業になっております。こうした背景から、足尾砂防堰堤は、1954(昭和29)年に竣工されました。かつては三川(サンセン)合流ダムと呼ばれていました。SABOは、世界の共通言葉であり足尾から発信されています。
足尾環境学習センターの施設は、旧足尾町からの施設で、現日光市の指定管理を受けて、足尾に緑を育てる会が運営しております。松木渓谷の緑化の歴史が良く分かる展示が成されています。
⑩世界共通語SABO砂防発祥の地!
松木渓谷・足尾砂防堰堤・・・この奥には、かつて仁田元村(ニタモトムラ)・松木村(マツキムラ)・久蔵村(クゾウムラ)の三村がありました。日光山と足尾の歴史は、中禅寺湖からの人の往来から繋がっています。足尾山塊で修業をし、日光山を開山した勝道上人とその弟子たちが、中禅寺湖から阿世潟峠を越えて久蔵に抜け、足緒→足尾と名付け・・・足尾と日光の関係性はまた別の御案内を!
三村は、木材や木炭などの森林資源が銅製錬や坑道維持のみならず、多くの住民の生活資源として多量に使用されました。また、1887(明治20)年4月に松木村に大火が発生。それに加えて製錬所から排出された亜硫酸ガスによって禿山と化した場所であり、古河との示段交渉により、村人は星野金平氏を残して撤退し、1902(明治35)年に廃村となっています。古河鉱業は、木を伐採しながら植林もやって来ましたが、坑内は拡大し木材調達が追い付かなくなっていました。現在は、林野庁、国交省、森脇先生の森びとプロジェクトや足尾に緑を育てる会などの民間団体による植樹により緑化されつつあります。こうした背景から、足尾砂防堰堤は、1954(昭和29)年に竣工されました。かつては三川合流ダムと呼ばれていました。SABOは、世界の言葉であり足尾から発信されています。 
⑨鉱山の繁栄と安全祈願神社!
只今 工事中です・・・
⑧往時日本最大の動力の地!
本山動力所跡・・・国指定史跡2023(平成26)年3月非公開・・・本山動力所は、本山坑で使用する削岩機の動力である圧縮空気を供給する施設として、大正3年頃建造されました。アメリカのインガーソルランド社製の大型コンプレッサーが設置され、圧縮空気の集中供給が行われたことにより、大正期以降の採鉱行程の全面的な機械化に貢献しました。建屋構造及び形式は木造軸組構造、平屋、切妻屋根、スレート葺き(現在は金属板葺き)とし、棟の2か所に換気・採光用の越屋根が取りついています。かつて足尾銅山には、本山・通洞・小滝の3か所の動力所が存在しましたが、建屋及び機械類が現存しているのは本山のみで大変貴重なものです。

